ごきげんよう、えぞしまです。
ちょっと思いつきで、
映画『僕はイエス様が嫌い』を観てきました。
この映画、
監督・撮影・編集・脚本を一人でこなしていて、
しかも大学在学中に作ったという低予算映画なのです。
単館系のマイナー映画かもしれませんが、
これが当たりだったッ……!!!
主人公ユラは、
東京から雪深い街にあるカトリック小学校に転入することに。
朝の礼拝、お祈りの言葉、賛美歌…。
カトリックのしきたりに、初めは戸惑うユラ。
学校の神父さんに、
「神さまは何でもできる」と書かれたカードをもらったユラ。
神さまの存在が、なんとなく気になり始めます。
ある日、学校で礼拝していると…。
小さな神さまが見えるようになります。
見えているのは、ユラだけ。
ユラは、神さまに、
「新しい友達ができますように!」
とお祈りします(神社感覚)。
すると、
クラスで人気者のカズマという親友ができたのです。
半信半疑で、
「お金がほしい」とお祈りするユラ。
すると次は亡くなったおじいちゃんのへそくりを手に入れます。
たったの千円ですが、
ユラが神さまの力を信じるには、十分な額でした。
神さまの力を頼りに、
ユラはカズマとの思い出をたくさん作るのですが…。
これ以降はネタバレがあります。
ちょっと思いつきで、
映画『僕はイエス様が嫌い』を観てきました。
この映画、
監督・撮影・編集・脚本を一人でこなしていて、
しかも大学在学中に作ったという低予算映画なのです。
単館系のマイナー映画かもしれませんが、
これが当たりだったッ……!!!
主人公ユラは、
東京から雪深い街にあるカトリック小学校に転入することに。
朝の礼拝、お祈りの言葉、賛美歌…。
カトリックのしきたりに、初めは戸惑うユラ。
学校の神父さんに、
「神さまは何でもできる」と書かれたカードをもらったユラ。
神さまの存在が、なんとなく気になり始めます。
ある日、学校で礼拝していると…。
小さな神さまが見えるようになります。
見えているのは、ユラだけ。
ユラは、神さまに、
「新しい友達ができますように!」
とお祈りします(神社感覚)。
すると、
クラスで人気者のカズマという親友ができたのです。
半信半疑で、
「お金がほしい」とお祈りするユラ。
すると次は亡くなったおじいちゃんのへそくりを手に入れます。
たったの千円ですが、
ユラが神さまの力を信じるには、十分な額でした。
神さまの力を頼りに、
ユラはカズマとの思い出をたくさん作るのですが…。
これ以降はネタバレがあります。
カズマと流星群を見たり、
人生ゲームや別荘で遊んだり。
引っ込み思案だったユラでしたが、
自分から積極的に遊びに誘うようになります。
そうなってくると、
もう神さまに頼らないでも、
自分の力で願いを叶えていけるユラ。
ところが、
カズマは交通事故に遭い、危篤状態に。
毎日クラスメイトとお祈りを捧げますが、
肝心の神さまはこういうときに限って出てこない。
手を組んで、何度祈っても、
小さな神さまは姿を見せない。
みんなの祈りも虚しく、
カズマは息を引き取ります。
先生に、
お別れの会で弔事とお祈りの言葉をやってほしい、
と頼まれたユラ。
ユラは思わず、
「お祈りなんて意味なかった」と呟きます。
お別れの会当日、
弔事を読み終えたユラは、
聖書の上に神さまがいるのに気が付きます。
手を組んでいたユラは、
その神さまをズドン!と潰します。
「イエス様、嫌い」
と、観客がみんな思ったことでしょう。
先生は
「きちんとお祈りしないと大熊(カズマ)は帰ってこない」
と、半分恫喝しながらお祈りしていたのに。
(てかお祈りってそういうものかぁ?)
なーにがお祈りだ。
なーにが「なんでもできる」だ。
いいヤツから先に死んでいく、
世の中の不条理をお祈りの手でズドンと潰す、
そんなパワーが感じられました。
最後に、
「この映画を若くして亡くなった友人に捧ぐ」
というテロップが出て、
「ああ、ユラは製作者だったんだ」と種明かし。
きっと製作者も「イエス様、嫌い!」となったんだろうな。
素人目に見ても、
カメラワークや間のとり方など、
ちょっとひと味ちがうな、と思わせるところがあります。
ストーリーも無駄がなくて、よかった。
この映画、DVDとかになるのかなぁ。
映画館でやっているうちに、ぜひ見てほしいですね。
映画『僕はイエス様が嫌い』公式サイト
人生ゲームや別荘で遊んだり。
引っ込み思案だったユラでしたが、
自分から積極的に遊びに誘うようになります。
そうなってくると、
もう神さまに頼らないでも、
自分の力で願いを叶えていけるユラ。
ところが、
カズマは交通事故に遭い、危篤状態に。
毎日クラスメイトとお祈りを捧げますが、
肝心の神さまはこういうときに限って出てこない。
手を組んで、何度祈っても、
小さな神さまは姿を見せない。
みんなの祈りも虚しく、
カズマは息を引き取ります。
先生に、
お別れの会で弔事とお祈りの言葉をやってほしい、
と頼まれたユラ。
ユラは思わず、
「お祈りなんて意味なかった」と呟きます。
お別れの会当日、
弔事を読み終えたユラは、
聖書の上に神さまがいるのに気が付きます。
手を組んでいたユラは、
その神さまをズドン!と潰します。
「イエス様、嫌い」
と、観客がみんな思ったことでしょう。
先生は
「きちんとお祈りしないと大熊(カズマ)は帰ってこない」
と、半分恫喝しながらお祈りしていたのに。
(てかお祈りってそういうものかぁ?)
なーにがお祈りだ。
なーにが「なんでもできる」だ。
いいヤツから先に死んでいく、
世の中の不条理をお祈りの手でズドンと潰す、
そんなパワーが感じられました。
最後に、
「この映画を若くして亡くなった友人に捧ぐ」
というテロップが出て、
「ああ、ユラは製作者だったんだ」と種明かし。
きっと製作者も「イエス様、嫌い!」となったんだろうな。
素人目に見ても、
カメラワークや間のとり方など、
ちょっとひと味ちがうな、と思わせるところがあります。
ストーリーも無駄がなくて、よかった。
この映画、DVDとかになるのかなぁ。
映画館でやっているうちに、ぜひ見てほしいですね。
映画『僕はイエス様が嫌い』公式サイト
コメント
コメント一覧 (2)
ど~でもいい様な願いを叶えてくれる神様は、神とは言わない。
邪神若しくは低級霊。
監督の表現したかったテーマが何であったのかサッパリ理解が出来なかった。
ユラもそうだが、あんなに明るかった和馬の母親の変貌。
何の救いも無く終わってる。
結論は神への祈りは聞き届けられなかった。
そんな事は世の中の殆どの人間が周知しているし日常の事だ。
それを敢えて映画にしただけなのだろうか?
大局的な目に見えないイエス様の御心に迫るとか、理不尽な現実の中での信仰心を表現するとかでは無さそうだ。
監督は少なくとも神様に対する信仰心は無いと思われる。
コメントありがとうございます。
信じてたけど(信仰心は昔あったけど)、実は神様なんてそんなものなかったということに気がついて、目が覚めたときの虚無感がテーマじゃないでしょうか。
私の解釈ですが。