ごきげんよう、えぞしまです。

今回ご紹介するのはこちら。

「江戸しぐさ」は、芝三光という人物が、一九七〇年代以降に“創作”したマナー集とでもいうべきものである。そのネーミングとは裏腹に、実際の江戸時代の風俗とはまったく関わりがなく、西洋風マナーの焼き直しや、軍国主義教育の残滓まで含んだ紛いものである。その「江戸しぐさ」は今や、芝の系譜を引く普及団体のコントロール下を離れ、文部科学省や学校教育までも汚染してしまった。我々はどうして、この「作られた伝統」の普及を許してしまったのか。果たして、社会の隅々に拡散してしまった「江戸しぐさ」を終わらせることは可能なのか。本書では、「江戸しぐさ」の普及史を辿りつつ、その「終焉」に至る道筋を提示する。

かつて一世を風靡した江戸しぐさ。
学校教育で、街角の広告で、あるいは政府まで。
日本人は、江戸時代に受け継がれたという文化「江戸しぐさ」を知り、江戸時代に思いを馳せたのです。


江戸しぐさの代表的なものは、例えば「時泥棒」。
アポを取らずに突然相手先を訪問することは、相手の時間を突然奪うこと。
その罪は金十両を盗んだのと同じくらい!
なので、相手先を訪問するときはお約束しましょうね、というもの。


しかし、これは江戸時代の文化を少しでも知っていればおかしいことに気づきます。


江戸時代というのは、不定時法なんです。

不定時法(学研)


現代は、定時法を使っています。
一日をきっちり24時間で区切る。
なので、18時はいつの季節も18時。
夏の18時はまだ明るく、冬の18時は暗いです。

不定時法は、お日様の出ている時間帯を区切って表します。
日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つ。
明け六つから暮れ六つの時間帯を六つに区切ったものを一刻といいます。

なので、一刻は季節によって変わります。
日が暮れるのは、夏は19時過ぎになるだろうし、冬は16時くらいでしょうか。タイミングは違うけど、暮れ六つどき、と言います。


江戸時代の人たちは、お日様の高さや、時を告げる鐘なんかで大体の時間を計っていたということです。
和時計なんかは、数字の目盛りが動かせるようになっていますが、これは季節によって変えるためです。
もっとも、時計なんて誰でも持っているものじゃありません。
日の高さに合わせて目盛りを調整する高精度な和時計もありますが、そんなのは大名時計の名のとおり金持ちの道楽グッズです。


そんなわけですから、「事前にアポを取ってから会う」なんてことは、江戸時代にはできないんですよね。
そもそも、電話も郵便制度もありません。
飛脚はコストが高いので庶民が気軽に使うというのは考えにくい。


本書にもありますが、こんな環境ですから江戸時代の訪問は基本的に突然だった(そうするしかない)というわけです。



他にもいろいろありますが、
江戸しぐさで紹介されているしぐさは、極めて西洋風の現代的なマナーばかりなんです。


著者は、そこのところをぐぐっと掘り下げています。
この調査が綿密。ぐうの音もでません。


日本人は、ちょっといい話に弱すぎると思います。
すぐに信じるだけじゃなく、反論を許さない。
当時の風習を知っている人からすれば、ツッコミどころ満載だったでしょう。
なのに、いい話に水をさすのは野暮とばかりに広まってしまった。


現在のTwitterでも、ほろりとくる話や人助けネタ、有益な情報など、あっという間にバズり拡散します。
それが釣りだった、ガセだったとしても。

リツイートした人は、悪気は全くないはずです。
むしろ、「こんないい話、広めなきゃもったいない!」「困ってる…助けてあげなきゃ」といった善意の気持ちで拡散しているはずです。



善意だけで生きてちゃダメなんです。



情報リテラシーが試される場面が、ここ最近増えているように思います。

最近だとこれかなぁ。


【悲報】Twitter民、国際信州学院大学に盛大に釣られる


みんな架空のうどん屋さんに「ひどいですね!」とか寄り添ってたみたいだし。


被害を訴えているのに、
この話は本当なのか?というのは野暮でしょう。
しかし、面と向かっているならともかく、ネットの話ですから少し疑ってもいいんじゃないでしょうか。


日本の情報リテラシーを危惧するえぞしまなのでした。。。



話を戻しますが、江戸しぐさを学校でやらされた、という方も多いのではないでしょうか。
江戸しぐさを元に、理不尽な怒られ方をした人もいるかもしれません。
江戸しぐさが日本全体でこぞって持て囃されたのは事実です。


皆が理想と信じるものに、鋭い眼差しを向け徹底的に検証している一冊です。