ごきげんよう、えぞしまです。


2020年7月17日、
映画『パブリック 図書館の奇跡』が公開されます!





それに先駆けて、
7月7日と8日、二夜連続で、
「映画『パブリック 図書館の奇跡』から考える、日本の《公共性を持つ空間》のあり方と未来」
というイベントがYou Tubeで開催されました。


この映画、図書館関係者はもちろん、
そうでなくても必見の映画ということで注目していましたが、
なかなか考えさせられる・気づきが得られる内容となっているようです。


トークイベントで出ていた話を、
ざっくりとまとめてみました。
聞き取れなかったところもあるので、
もし間違っていたらご容赦ください。
コメントで教えてくださると嬉しいです(他力本願)。











登壇者~そうそうたるメンバー~

まずは登壇される皆さんを紹介します。
ズーム会議でも「登壇」って言っていいのかなぁ。


司会 岡本真(アカデミック・リソース・ガイド株式会社 (arg)代表、著書『未来の図書館、はじめませんか?』)

福島幸宏(東京大学大学院 情報学環 特任准教授)

嶋田学(奈良大学 文学部 文化財学科 教授・司書課程)

谷合佳代子(公益財団法人大阪社会運動協会・エル・ライブラリー)

岡野裕行(皇學館大学文学部国文学科准教授)

桂まに子(京都女子大学図書館司書課程)



これ図書館関係者はわかると思いますが、
めちゃくちゃ濃いメンバーです。

でも誰が誰だかわからなくても大丈夫です。


あとすっごく申し訳ないんですけど、
これ以降は登壇者のみなさんを名字のみで書いていきます。
そうそうたるメンバーのところ、申し訳ないんですけど。


映画『パブリック』の感想

まずは映画の予告編と、かる~く紹介。
そして一人ひとり感想を述べることに。


福島 
図書館がフックになっているが、図書館だけにとどまらない。
貧困をどう考える?といった社会全体のテーマも含んでいる。
図書館あるあるが満載でよい。

嶋田
「みんなの」というのがどういうことなのかを、告発する映画だった。
上質なエンターテイメント。

谷合
多面的に語ることができる映画。
主人公が追求されたり、悩むような場面でカメラが揺れるが、
物語後半になっていくと揺れが減ってくる。
これが主人公の変化を表現しているのでは?
(注:谷合さんは映画の評論家でもあります。)

岡野
言葉・声・歌の力・叫び…。
弱い立場の人や市民が声を発する場が図書館になっている。


Who is us?私達って誰のこと?と問うシーンが刺さった。
空間ってなんだろう?と問い返してくる。

司会の岡本さんからは、
このイベントを視聴しているのは図書館関係者が多いかもしれないけど、
エンターテイメントとして優れているので、
関係者でなくても楽しめます!と太鼓判を押していました。




図書館ってそもそも何だっけ?

この映画は図書館が軸になっているけれども、
そもそも図書館って何だっけ?という、
シンプルだけど語り尽くせないお題。

ここからは大喜利形式で、
手を挙げて発言していく流れになります。


ここで谷合さんのカメラが落ちるというトラブル発生!
エル・ライブラリーも財政が大変なのかしら…。


嶋田
ご自身の本から引用されていました。
「図書館は流れ行く日常に、ちょっとした波紋を作る私自身の行為を生み出してくれる場所」

岡野
人類の知識を継承する場。
映画では、図書館側と利用者側の視点が両方描かれている。
図書館は利用者の声をひろう場でもある。

福島
先日行われた鼎談でも出たが、日本の中に図書館はどう存在できるかがポイント。
ストレージを持っていることが大きな特徴。
しかもそれを長期に運営できる。


図書館は、アクセスが大事。
場所的なものだけではなく、知識・情報へのアクセスも含む。
何かを成し遂げようとする利用者の、アイデアやヒントにも答える中継地点。
映画を観ると、レファレンスしたときのような感覚がある。

岡本
レファレンスの雰囲気が確かにある。
同じような作品を日本で撮ったら、違う雰囲気になるのではないか。
アメリカでの図書館の根付き方が違うので、
レファレンスの内容も変わってくる。
アメリカは僻地でも利用されまくっていて、日常と連続している感じ。


カメラの調子が悪くて、ハウリングしていた谷合さんが復活!


谷合
資料を置いていないと、図書館じゃない。
イベントをやるのも、何かの場を作るのもいいけれど、
それはやっぱり資料があってできること。
資料がなくてはできない。

福島
サスペンス映画などで、冒頭に図書館が出てくる…というのは多い。
(図書館で手がかりを見つけて、そこから話が始まるというもの)
ストレージと日常がつながっているということ。
また、どういう人ならライブラリアンになれるか?という問いがあった。
そういった意味で、オープニングは印象的なものだった。
また、主人公は理想のライブラリアンなのか?という問いもある。

嶋田
6月のトークイベントで、法政大学の上西先生が、
主人公のキャラクターと図書館の共通性ということをおっしゃっていた。
(押し付けない&頼まれたら答えるというもの)
それを踏まえて、アメリカの図書館は、コミュニティーライブラリーや
エンベデッドライブラリアンのような存在が、
地域の中に入っていって、具体的なニーズをつかもうとする。
これについてどう思うか?

岡野
映画の中にも、地域に出ていくライブラリアンが登場する。
内から外へ出ていくライブラリアンもいるのが良い。
←この映画は優れた群像劇。思い入れをする人物が、観た人によって異なるかも。
 多様性を映し出していると思う(岡本)


主人公はなぜホームレスを助けたのか?
日頃やりとりがあったのか?はポイント。
日本では利用者とのやりとりはどれくらいあるだろうか?
人間観察を司書はどれくらいしているのか?
そして次のアクションはどうする?という一連の流れがある。

谷合
映画『デイアフタートゥモロー』にも、寒波が市民を襲うというシーンがあり、
その映画ではNY公共図書館に逃げ込む市民も描かれている。
暖を取るために本を燃やす市民たちに、司書は猛抗議するが、
命がかかっているのでしぶしぶ承諾する。
しかし、グーテンベルク聖書だけは絶対に守る!と、
本を大事に抱える職員が登場する。
映画『パブリック』では、「守るのは資料だけではない」というスタンスになっている。
10年でここまでスタンスが変化した。
ちなみに何を守るのかは映画を観た人に考えてもらいたい。

岡本
図書館に普段親しみがなくても楽しめる映画。
最新の図書館論を知っている必要はまったくない。
誰もが「図書館」と聞いて、なんとなくイメージがつく。
これが現代美術館や科学館だと違ってくる。
「科学館って何があるの?何するところ?」となってしまう。
図書館はまだ恵まれているのかも?

岡野
図書館はストレージ、中継地点。
知識・情報を使うために残す。
利用者が図書館を利用するのは、知的好奇心からだけではなく困っているから。
それに寄り添ってきたのが図書館。
映画には女性のホームレスが登場しなかった。それが不満。

岡本
映画で起きた内容は、
日常で起こっていること(それも驚くようなこと)とリンクしている。
製作者の社会をみるまなざしは鋭い。
映画にするにあたって単調化せざるを得ないこともあるが、社会はもっと深いと感じさせる。


ここでコメント。
「日本の図書館だったら(市民が寒波に苦しんでいたら)閉めちゃう?」
「日本の図書館で、暖を取ることはできる?」


嶋田
映画で、来館者のリストを残すかどうか議論になるシーンがある。
図書館を閉めてしまうか?
そうなると図書館が持っている自由を手放すことになる。


ここで
非来館者サービスは今後も課題。
歩み寄りをしていく必要があるという話になりました。


福島
パブリックのすべての役を担うのは無理。
資料と困っている人をどうつなぐかが課題。
しかしアクセス保証をどう考えるかは常に忘れないようにしたい。

岡本
図書館はどこまで万能なのか?
日本における図書館への期待がある。
図書館外の、他のサービスに不足が生じているのが問題。
図書館だけの問題なのか?というのは考えたい。


つながる図書館とどう向き合っていくか?

嶋田
繋がりがキーワード。
なりたいものになれる、したいことができる。
主体性を活かしていけるような社会になっていける。
自己実現とはなれてしまっているということを、
この映画のメッセージとして受け取った。


図書館らしいつなげ方があるのではないか。
「繋がる」と「繋げる」は違う。
本は人が書いて生み出している。
理論的なものも感情的なことも、人の「声」がある。
しかも図書館ならオールジャンル。
映画では図書館の垂れ幕など、要所要所にメッセージが隠されている。
そういったメッセージを残すことができる。

岡野
「つながる」というのは「つなげる」という意志があると良い。
図書館側も利用者もストレージを使う。
いろんなフレーズ、言葉、知識を共有できる。
それを未来に繋げるのが図書館。

岡本
ひとつひとつのメッセージが、映画の重厚性をもたせている。
練り込まれた脚本。

谷合
ホームレスが図書館を占拠するといったとき、
司書は反対するが、ホームレスたちが「NYでもやっている」と言い返す。
つまりホームレスたちは自分たちの情報網があり、
そこで得た情報をうまく活用している。
図書館には情報を得て、立ち上がる力がある。

福島
この10年、図書館には「ひろば論」とかもあった。
時間を超えて語られる、昔の人の言葉とつなげられる場ということ。

嶋田
コメントで、「人と資料を結ぶのが図書館の使命」とある。
図書館の社会的基盤として、関係性を作るのが大事。

岡本
日本の司書は、自主性・主体性を持って動けるほど恵まれているのか?
映画に出てくる司書たちは、けっこういいポジション(それだけのスキルも求められるけど)。
ノブレス・オブリージュを感じさせる立場になっている。
日本はそうなのか?専門職は何を賭けるのか?



「パブリック」とは何か?

谷合
エル・ライブラリーは、大阪(公)の建物の中に、私立の図書館として設置している。
しかし、利用者は私的空間とは捉えていないはず。
そこには「公」がある。
つまり、公私が入れ子になっているのがエル・ライブラリー。
寄付金で運営しているのだが、支援者の考えは人それぞれ。
100人いれば100通りある。
それをまとめていくのがパブリック。
今ネオリベラリズムの考え方が広まっているけれど、
「私」が増えていくと「公」も増えていくのでは?
公私がクロスオーバーしていくというのが考えるヒントになる。

嶋田
公的な場における私と他者の私の関係性が公共。
どうすれば公共を作れるのか?ということを映画では告発している。
ホームレスに介入する警察も、ホームレスに差し入れする市民も、社会の豊かさ。
公共をつくるのはひとりひとり。

岡野
私とあなただけではなく、「私たち」の問題だというのを突きつけられた。
みんなの記憶の先にパブリックは作られる。


他の施設と図書館のパブリックな空間の違いがある。
映画では「だから図書館を使ったのね」と思わせる場面がある。
道端で挨拶はしないけど、図書館だったらありそうだし、
声をかけてもらうというのが自然にできている場所。
レファレンスにどう答えるかにライブラリアンの特徴が現れる。
主人公は、自分の意志・主張を自分の言葉では伝えていない。
レファレンスでは必ず根拠を示すというのが原則だが、
言葉をどう使うのかは司書次第。

福島
公共=行政ではない。
だからアメリカでは民兵、ホームレス占拠、BLMということが起きる。
市立・県立図書館を「公立」と訳したのは間違い。「公共」としたほうがいい。
公共が私企業に買われているというのは一つの現象としてある。
官が土地を買い取って作った学校が廃校になり、
私企業に売却している。
一方、プライベートセクターの提供するサービスも普通に享受している。
主人公は「私」の存在を「公」に聞いた。
パブリックの存在になろうとした。
それがいいかはわからないけれど、そういう可能性もある。

岡本
この映画に「パブリック」と名付けたのはすごい。
狙いを感じさせる。
公民連携という話はよく出てくる。
しかし民の発想は浅い。市民の視点がもっと必要。
自分たちが公共を担うという意識が必要。


私たちにできること

岡野
最後に出てきた肖像とメッセージのような、
本を読むことや関わり合うようなメッセージがさりげなく登場するのがよかった。
(注:メッセージの内容が聞き取れませんでした)


本を読むというメッセージがあるが、
私は学生たちには本以外のものを伝えている。
司書課程に来る学生は、本の素晴らしさは知っているから。
しかしやはり本は読んでほしい。それと人間観察。

嶋田
パブリックというのは現れるもの。
私自身がまた別の誰かであると想像する。
他者という存在に思いを致すことで、パブリックが現れる。

福島
ホームレスの支援のような社会問題を提起できる場が図書館。

谷合
図書館の究極の目標は「次の戦争をさせないこと」。
しかしそんな大きなことを考えても仕方ない。
図書館にできることには限度があるが、
目標とする社会を実現するためのインフラを図書館は用意できる。
アーカイブをこつこつ集める機能が図書館にはある。
それがあるから、過去を振り返ることができる。
でもやっぱり映画のほうが好き!

岡本
私たちにできることは、みんなに考えてほしい。
映画館も公共空間だけど、コロナウイルス騒ぎで映画館も逼迫している。
みんなで映画を観に行って、その後意見交換をしあってほしい。
ということで映画を観てください。